4月2日生まれの偉人
4月2日が誕生日の偉人を紹介。

カール大帝
742年4月2日生まれ
カロリング朝を開いたピピン3世(小ピピン)の子でフランク王国国王。
46年間の治世のうち53回の遠征を行い、ゲルマン民族大移動以降の
西ヨーロッパの混乱を平定しフランク王国の最盛期を迎える。
「ヨーロッパの父」と呼ばれ、現代におけるEU統合はしばしば
「カールの帝国の再現」と称されることがある。
世界遺産に登録されているアーヘン大聖堂を建設。
~学校は中退、醜い容姿、人付き合いは苦手で生涯失恋続きの独身~
~70歳で死ぬときには、王様から浮浪者・子どもから老人までが彼の死を悲しんだ~

ハンス・クリスチャン・アンデルセン
1805年4月2日生まれ
アンデルセンはデンマークのオーデンセという町に生まれた。
靴屋の父親は病気で貧しいが、愛にあふれる母に育てられ貧しいながらも
細々と幼少時代を過ごす。想像力豊かな子どもだったようだ。
最初の転機は11歳のとき。病気の父親が他界し学校を中退することになる。
14歳になるとアンデルセンは一念発起、オペラ歌手になることを決意し
単身コペンハーゲンに移り住むのだ。
その後オペラ歌手・バレエなど夢に挫折を繰り返すものの、
周りの助力によりどうにか大学に入学することができた。
しかし、それもつかの間。アンデルセンは結局大学は卒業しない。
旅行することを勉強だとして多くの旅行記を残している。
30歳になりデンマークに戻り童話を発表し始める。処女作の「即興詩人」が大反響になると
その後多くのの童話を残していく。グリム兄弟などは民族説話などの影響を多く受けたが
アンデルセンは創作が多く、また主人公が最後に死を迎えるものも多かった。
現実の不幸から逃れる死を幸せとする作品は、暗に当時の社会を批判する
ものだったのかもしれない。
その間3度の大恋愛を経験するもいづれも失恋に終わり、
失恋話を延々と書き綴っていたようだ。彼は容姿が醜くく、
若い頃より孤独に生きてきたため人付き合いが苦手だったことも要因かもしれない。
また極度の心配性で外出する際は、何か起きてもすぐ窓から逃げられるように
ロープを持ち歩き、眠るときは枕元に死んでいませんとメモを置いていたそうだ。
こうして生涯独身ですごすこととなる。
一方童話はヒットを続け、晩年には死を迎えない幸福の形を表現するようになっていく。
代表作は「マッチ売りの少女」「裸の王様」「親指姫」「みにくいアヒルの子」「人魚姫」などがある。当時から彼の作品は世界中で愛読されており、70歳で他界したときには
各国の王大使から浮浪者、子どもから老人まで悲しんだという。
死因は肝臓癌とされる。
足利 義晴
永正8年3月5日(1511年4月2日)生まれ
10歳のときに室町幕府第12代征夷大将軍就任。
側近集団を再編し、政権中枢に置くことで将軍権威の回復に努める。
細川晴元に破れ、嫡男・足利義輝に将軍職を譲る。
39歳で没する。
ウォルター・クライスラー
1875年4月2日生まれ
アメリカ・カンザス州出身でクライスラー社の創業者。
1929年にダッジ社を買収しクライスラー社はアメリカ自動車メーカー
ビックスリー入りを果たす。享年54。
「ジープ」ブランドはは四輪駆動車の代名詞となるほど有名。
その後クライスラー社はドイツのダイムラー・ベンツと事実上吸収合併、
ダイムラー・クライスラーが誕生。
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